無題

今日は、母の兄弟が秋田と京都からお見舞いに来てくれた。
前日になって、誕生会も一緒にやるから、花を買ってきてと弟から連絡があった。周りを花で飾りたいそうだ。といっても、母の誕生日は7月4日で、2週間ほど先。単に兄弟がくるから繰り上げたいと思ったのか、どういった心境でそうしたかったのかは聞けない。
自宅近くのバラ園で母の誕生花であるバラを購入しようと立ち寄る。
しかし、ここには切り花は置いていなかった。鉢植えのバラも綺麗だったが、見舞いに鉢植えは縁起が悪いというし、悩んでしまった。もう退院しているんだし、それに誕生祝いだし、縁起を担ぐ必要も無いんじゃないかと思ったが、親戚が集まる席ということもあり、下手を打たずに、他の店でバラの花束を買った。
自宅に戻ってからの母は本当に加減が良さそうに見える。花束を見せると顔がほころんだ。最近は痛みで眉間にしわを寄せてばかりだったので、やはり花束にしてよかったと思う。
母の兄弟の長男である伯父は、今年81歳。おしゃべりが大好きで非常に元気だ。ただ秋田訛りが強くて、たまに話していることが分からないこともある。一応気を遣ってくれて、ゆっくり話してくれたりもするが、そもそも方言が分からないので、文脈から内容を読み取るしかない。
兄弟が秋田の話に花を咲かせていると、母も割って入る。秋田弁にも地域毎に方言があって、本庄弁というものがあるという話。兄弟と話すときは母も一気に秋田訛りが強くなる。
しばらく話を聞いていたが、積もる話もあるだろうと、私は居間に引っ込んだ。
しばらくして父が居間に来て、母の肩のあたりが大きく腫れてきたと話してくれた。昨日まではなんともなかったが、今日、いつものように背中をさすっていたときに気づいたと言っていた。毎日のように状況が変わる。
そのうちに葬儀の話題になった。父は冠婚葬祭のマナーブックを読んだようで、葬儀委員長を誰にお願いするか悩んでいるようだった。心当たりがなければ、私の知人にお願いするからと心配しないように伝えた。
その会話を横で嫁が聞いていて、酷く不機嫌な様子だった。まだ元気にしているのに、葬儀の話なんてありえないという口ぶりだった。
確かにそうなんだろうが、父は既に覚悟を決めているし、今の状況を冷静に見ているようで、私は少し安心した。
ただ、滞りなく全てを済ませた後で、父はどうなってしまうんだろうか。自分も最近、急に気持ちが落ち込むことが多くなった。
私も先のことを考えておかないといけないなと、改めて思った。いくつか、ターミナルケアに関する書籍を購入しておこうと思う。
死ぬ瞬間―死とその過程について
死ぬ瞬間―死とその過程について
エリザベス キューブラー・ロス, Elisabeth K¨ubler Ross, 鈴木 晶
癒されて旅立ちたい―ホスピスチャプレン物語
癒されて旅立ちたい―ホスピスチャプレン物語
沼野 尚美
どうしても気がかりなのは、母に余命告知をしていない事。自分自身、不治の病になったとしたら、余命は告知してほしいと思うから。
だが、これは健康だから、そう思うのかもしれないとも思う。健康な人間が死を覚悟する自分を想像できるのかと、真剣に考えてみたが、その時の痛みや恐怖を、そう簡単に想像できるわけもない。
父に余命告知をしたほうがいいと進言ことも考えたが、説得する材料すら無い。
結局、答えは出ない。

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